金大中大統領と金正日総書記は二〇〇〇年六月、歴史的な首脳会談を実現した。南北朝鮮の指導者同士の会談は、史上初めてであった。首脳会談は、一九七二年以来南北の指導者が密かに、時には公の演説を通じ、何度となく提案したが成功しなかった。
なぜ、南北朝鮮の首脳会談は二〇〇〇年まで実現できなかったのかについては、終章で詳しく説明したい。南北首脳会談は、日本のマスコミでもその「成功」が大きく報じられた。
だが、南北の指導者が「すぐにも統一を実現したい」との思いを一つにしていたわけではない。金大中大統領と金正日総書記の思いは「同床異夢」の状態にあった。
それでは、両首脳の思いと目的は何であったのか。それが明らかになったのは、首脳会談から四ヵ月が過ぎた二〇〇〇年の一〇月であった。
一〇月に何がめったのか。まず、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の趙明禄・国防委員会第一副委員長がアメリカを訪問し、クリントン大統領に北朝鮮訪問を希望する金正日総書記のメッセージを伝えた。
北朝鮮外交の最大の目標は、アメリカとの平和協定締結と国交正常化であった。その目的に、大きく近づいたように見えた。
北朝鮮は、一九七〇年代以来アメリカとの平和協定締結、国交正常化実現のために、多くの努力を傾けた。韓国を排除した、米朝両国だけの平和協定締結が、北朝鮮外交の最大の目標だった。
そしてたどり着いた結論は、南北首脳会談を実現し金大中大統領にクリントン大統領への説得を頼むことであった。金大中大統領は、日米の首脳に金正日総書記との直接会談を勧めた。
これは、北朝鮮としては「ソウルを通じてワシントンに至る」戦略の採用でめった。一方、韓国の金大中大統領は二〇〇〇年一〇月にノーベル平和賞を受賞することが決まった。ノーベル賞受賞のために金大中大統領は南北首脳会談を必要としたのだった。
2016年1月12日火曜日
2015年12月9日水曜日
おまえはどっちの店員か
幸之助はそのときのことを、のちにこう述懐している。「人と人との関係はむずかしいもんやということですな。だれも損をしない、いいアイデアでさえも、ときには長続きしないことがあるんです。今考えると、タバコで儲けた金を、全部といわんまでも、一部出して、みんなにおごったらよかったんです。利益の還元というか、分配ですね。しかし、そのころは、そこまでは気がつかなかった」自転車店で小僧としての修業を始めて三年目、十三歳のころのことである。幸之助は、二度自分一人で自転車を売ってみたいものだと考えるようになっていた。当時、自転車は百円前後。今日の自動車に匹敵する価格で、客から話があっても、小僧が一人で売り込みに行くなどということはできなかったのである。
そんなある日、本町二丁目の蚊帳問屋から、「自転車を買いたいのやが、ちょうど今、主人が店にいるから、すぐ持ってきて見せてくれ」と電話が入った。ところがあいにく番頭も店員もみな出払っていて、幸之助しかいない。主人は、「先様もお急ぎのようだから、おまえとにかくこれを持っていっておいで」と幸之助に命じた。幸之助にとっては好機到来である。自転車の性能を蚊帳問屋の主人に、一所懸命説明した。十三の子どもが熱心に説明するのがよほどかわいく見えたのか、主人は、「なかなか熱心なかわいいぼんさんやなあ。よし、買うてやろう」と言ってくれた。
「ありがとうございます」「その代わり一割まけとき」幸之助は、いつも店では一割まけて売っているのを知っていた。だから、「はい、よろしおま、店に帰って主人にそう伝えます」と意気揚々と引きあげてきて報告した。「あれ一割引いて売ってきましたでえ」当然喜んでくれると思った主人が、渋い顔で言う。「なんでいっぺんに一割も引くんや。商売人というもんはそんなに簡単にまけたらあかん。五分引く話はあっても、いっぺんに一割引く話はあらへん。五分だけ引くともう一度言うてこい」いくら小僧でもいったん売ると約束してきたあとである。いまさら話が違いましたとは言いにくい。そう言わずにまけてやってくれと、幸之助はシクシク泣きだしてしまった。これには主人も面くらって、「おまえはどっちの店員か。しっかりせなあかんやないか」とたしなめたが、幸之助は容易に泣きやまなかった。
そうこうするうちに蚊帳問屋の番頭が、「えらい返事が遅いがまかりまへんか」と尋ねてきた。そこで主人が、「この子が帰ってきて、一割引きにまけてあげてくれと言って泣きだしよって、いまもどっちの店員かわからんやないかと言うておったところです」と事情を説明する。番頭からその様子を伝え聞いた蚊帳問屋の主人は、「なかなか面白い小僧さんやないか。それじゃ、その小僧さんに免じて五分引きで買うてあげよう」とうとう幸之助は自転車を売ることに成功した。それだけではなく、この話にはおまけがついた。「この小僧さんがいるうちは、自転車はおまえのところから買うてやろう」幸之助は大いに面目を施したのである。
幸之助が五代自転車商会に移ってから四年あまりたったときのことである。初めは三人だった店員も、店がしだいに繁盛して、そのころには七、八人に増えていた。そのなかの一人が、店の品物を黙ってよそに売り、その代金を使っていたことが発覚した。非常に才気にたけ、よく間にあって重宝がられていた店員である。主人は、初めてのことであるし、本人も詫びている、年も若いし惜しいということで、よく訓戒してもう一ペん使うことにした。ところが、それを聞いた幸之助は承知しなかった。主人のところに行って、「お暇を頂戴したい」と申し出た。突然のことで主人も驚いて、「どうしてだ」ときく。「ご主人はあの人をもう一ペん使うことに決められましたが、私はそれに承服できません。ああいう悪いことをした人といっしょに働くのは潔しとしませんから、お暇を頂戴いたします」
そんなある日、本町二丁目の蚊帳問屋から、「自転車を買いたいのやが、ちょうど今、主人が店にいるから、すぐ持ってきて見せてくれ」と電話が入った。ところがあいにく番頭も店員もみな出払っていて、幸之助しかいない。主人は、「先様もお急ぎのようだから、おまえとにかくこれを持っていっておいで」と幸之助に命じた。幸之助にとっては好機到来である。自転車の性能を蚊帳問屋の主人に、一所懸命説明した。十三の子どもが熱心に説明するのがよほどかわいく見えたのか、主人は、「なかなか熱心なかわいいぼんさんやなあ。よし、買うてやろう」と言ってくれた。
「ありがとうございます」「その代わり一割まけとき」幸之助は、いつも店では一割まけて売っているのを知っていた。だから、「はい、よろしおま、店に帰って主人にそう伝えます」と意気揚々と引きあげてきて報告した。「あれ一割引いて売ってきましたでえ」当然喜んでくれると思った主人が、渋い顔で言う。「なんでいっぺんに一割も引くんや。商売人というもんはそんなに簡単にまけたらあかん。五分引く話はあっても、いっぺんに一割引く話はあらへん。五分だけ引くともう一度言うてこい」いくら小僧でもいったん売ると約束してきたあとである。いまさら話が違いましたとは言いにくい。そう言わずにまけてやってくれと、幸之助はシクシク泣きだしてしまった。これには主人も面くらって、「おまえはどっちの店員か。しっかりせなあかんやないか」とたしなめたが、幸之助は容易に泣きやまなかった。
そうこうするうちに蚊帳問屋の番頭が、「えらい返事が遅いがまかりまへんか」と尋ねてきた。そこで主人が、「この子が帰ってきて、一割引きにまけてあげてくれと言って泣きだしよって、いまもどっちの店員かわからんやないかと言うておったところです」と事情を説明する。番頭からその様子を伝え聞いた蚊帳問屋の主人は、「なかなか面白い小僧さんやないか。それじゃ、その小僧さんに免じて五分引きで買うてあげよう」とうとう幸之助は自転車を売ることに成功した。それだけではなく、この話にはおまけがついた。「この小僧さんがいるうちは、自転車はおまえのところから買うてやろう」幸之助は大いに面目を施したのである。
幸之助が五代自転車商会に移ってから四年あまりたったときのことである。初めは三人だった店員も、店がしだいに繁盛して、そのころには七、八人に増えていた。そのなかの一人が、店の品物を黙ってよそに売り、その代金を使っていたことが発覚した。非常に才気にたけ、よく間にあって重宝がられていた店員である。主人は、初めてのことであるし、本人も詫びている、年も若いし惜しいということで、よく訓戒してもう一ペん使うことにした。ところが、それを聞いた幸之助は承知しなかった。主人のところに行って、「お暇を頂戴したい」と申し出た。突然のことで主人も驚いて、「どうしてだ」ときく。「ご主人はあの人をもう一ペん使うことに決められましたが、私はそれに承服できません。ああいう悪いことをした人といっしょに働くのは潔しとしませんから、お暇を頂戴いたします」
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