2012年12月25日火曜日

近代西洋医学の思考方向

それらはバストゥールの、醗酵現象の観察を糸口にして、一八八二年のコッホの結核菌の発見へとつながった。彼は実験技法の確立と、病原体を特定の病気にあてはめる際の理論的三条件(コッホの三原則)を提示し、これによって「医学は実験室で開発されることと」(中川米造著『医療の文明史』日本放送出版協会)なり、その後の病原性細菌類の大量発見へとつながった。

病原性細菌類の大量発見の詳細を述べることは本意ではないが、これらの発見によって、疫病と恐れられたコレラなどの病気克服への確かな槌音がヨーロッパの人々の心に与えた、「科学の優秀さ」に対する信頼感の強さについては、注意しなければならないと思う。さらには。「病気にはかならず特定の細菌による病因があること」、また「真実は一つでかならず実証されるべきものであること」、そしてこのような、「科学的思考」こそ近代人は持つべきだという思考方法の大変革、つまり、病気観をはじめとする価値観の一大転換が人々の心に起こったことについては、評価しつつも、注意しなければならないと思う。

それらを知り得る地位にいた行政官や知識人たちは、医療などの専門家が器具を使って菌を培養し、顕微鏡で調べてまた実験をくりかえすという科学的な態度と、そこから出た「科学的な数字」こそが病気克服の決め手とみなしたのである。見えないものを見えるようにして眼前につきつけられ、行きづまっていた恐ろしい病気の克服に、まず消毒、殺菌、あるいは隔離などの新しい方法と可能性が次々と見出され始めたのだから、人々がそのすばらしさに目をうばわれてしまったのは当然であったろう。

こうしてこれら近代西洋医学の思考方向は、それを知り得た人々(西欧の人々も、日本の人々も)の心を強い力で魅了した。そのため日本でも、それまで行なわれていた有用、無用の民間医療や伝統医療、とくに日本でそれまで採用されていた東洋医学的考えに基づく漢方医療が「非科学的」の名のもとに否定され、科学的に実証されうる西欧医学のみが、知識においても方法論においても採用されたことは、その後の医療やお産の歴史において大変重要である。

なぜなら、それまで行なわれていた病気癒しの方法は、人々が持っていた文化、つまり生命観や人間観や宗教観や、それら全体をひっくるめた宇宙観(コスモロジー)と、非常に深く、結びついていたからである。当時の日本の人々は(私か山村で聞いたように)、誰かが病気になったら、「まず山伏さんを呼び、おはらいをしてもらった」ものらしい。「何のさわりかを聞き、山伏さんにそのさわりをはらってもらい、皆で祈り、それでも治らない時はじめて医者を呼んだ」のである。

しかし「ほとんどの場合、おはらいしてもらっただけで治った」ものだったようだ。それが病気を治す方法であった。そのため病気に対する考え方の転換は、病気だけでなく宇宙観そのものの転換を人々に迫ったのである。以上の例からもわかるように、当時の人々は、心と身体は一体であり、病気についても「心から治った気」がしなければ、治りはしないと考え、個々人の心の状態を「治る気」にさせるために、心身という小宇宙の中のバランスのくずれをもたらした原因(意識的、あるいは無意識的に、相手に悪いことをしてしまった場合など)をつきとめ、相手(人間、動物、祖先の霊など)との間のわだかまり(さわり)をはらい、その関係を修復してはじめて、心身の平安が得られると考えたのである。