2016年1月12日火曜日

米・韓・朝各首脳の「計算」

金大中大統領と金正日総書記は二〇〇〇年六月、歴史的な首脳会談を実現した。南北朝鮮の指導者同士の会談は、史上初めてであった。首脳会談は、一九七二年以来南北の指導者が密かに、時には公の演説を通じ、何度となく提案したが成功しなかった。

なぜ、南北朝鮮の首脳会談は二〇〇〇年まで実現できなかったのかについては、終章で詳しく説明したい。南北首脳会談は、日本のマスコミでもその「成功」が大きく報じられた。

だが、南北の指導者が「すぐにも統一を実現したい」との思いを一つにしていたわけではない。金大中大統領と金正日総書記の思いは「同床異夢」の状態にあった。

それでは、両首脳の思いと目的は何であったのか。それが明らかになったのは、首脳会談から四ヵ月が過ぎた二〇〇〇年の一〇月であった。

一〇月に何がめったのか。まず、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の趙明禄・国防委員会第一副委員長がアメリカを訪問し、クリントン大統領に北朝鮮訪問を希望する金正日総書記のメッセージを伝えた。

北朝鮮外交の最大の目標は、アメリカとの平和協定締結と国交正常化であった。その目的に、大きく近づいたように見えた。

北朝鮮は、一九七〇年代以来アメリカとの平和協定締結、国交正常化実現のために、多くの努力を傾けた。韓国を排除した、米朝両国だけの平和協定締結が、北朝鮮外交の最大の目標だった。


そしてたどり着いた結論は、南北首脳会談を実現し金大中大統領にクリントン大統領への説得を頼むことであった。金大中大統領は、日米の首脳に金正日総書記との直接会談を勧めた。

これは、北朝鮮としては「ソウルを通じてワシントンに至る」戦略の採用でめった。一方、韓国の金大中大統領は二〇〇〇年一〇月にノーベル平和賞を受賞することが決まった。ノーベル賞受賞のために金大中大統領は南北首脳会談を必要としたのだった。