2015年7月9日木曜日

果敢なリスクヘの挑戦

リスクを負担しなければ収益もない。収入をもたらすプロは、言葉を換えればリスクを作って会社に負担させる人々である。会社はその資本をもってリスクを負担する。投資銀行の専門家やトレーダーたちは、リスクを最大限に会社に負担させ、成功すれば莫大なボーナスを手に入れるが、損失をだしたときにはどうするのだろう。ブラックーボックスのプログラムで、市場の歪みを見つけて利益をあげたら、その一五%を支払うと会社に約束させ、ときには三〇〇〇万ドルも受け取る自己勘定のトレーダーは、損失をだしたときには、逆にその一五%を会社に支払うだろうか。

ここで九八年のロシア通貨危機に際して、野村証券の米国法人がこうむった「被害」を、報道によってふりかえっておこう。日本の金融機関では、もっともグローバルに投資銀行業務で競争できそうだと思われる二つの金融機関、日本興業銀行と野村証券が九八年、金融エンジニアリングの分野で提携した。前途に期待したいところだが、野村証券は九八年、三十七歳の青年、イーサンーペナーという男のために巨額の損失を計上することになった。

ペナーは、モルガンースタンレー証券で提案したモーゲージ担保証券ビジネスのアイディアが受け入れられず、野村米国法人へ移って夢を実現した。それが商業用モーゲージ担保証券CMBSで、九三年から九七年までに野村に一〇億ドルの利益をもたらしたという。しかしこれが一転、九八年は六億ドルの損失となってしまったのである。

CMBSは不動産証券化商品の一つで、投資銀行などがホテルやオフィスなど商業用不動産向けの融資を行い、その債権を回収リスクにしたがって格付けし、証券化して投資家に転売するというものである(その仕組みの詳細については省略する)。

当時は米国の景気拡大に伴い、不動産需要に資金調達が追い付かないという時期であった。銀行や保険会社が数力月かけて不動産関連融資を審査するのに、野村は数日で融資を決定し、次々と巨額の案件をまとめ、発行されたCMBSを銀行や保険会社、ミューチュアルーファンドはもちろん、ヘッジファンドにまで販売し、巨大な利益をえた。縦横に発揮された若い独創的才能、果敢なリスクヘの挑戦、迅速な意思決定など、まさに投資銀行業務の真髄がそこに見られる。彼のボーナスは二年で二五〇〇万ドル、取引先接待のパーティには、エルトンーションといった人気アーティストを出演させるなど話題にも事欠かなかった。