2015年3月10日火曜日

望ましい日米関係とは

米国大統領は中国訪問(九八年六-七月)に九日間も費やしながら、日本素通りで帰ってしまった。大統領選挙(二〇〇〇年十一月)の争点は国内問題のみで、対日関係はほぽゼロ。

こうした状況を、経済摩擦が激しかったころの「ジャパンーバッシング(叩き)」から「ジャパン・パッシング(素通り)」に変わってしまったと、ひがみっぽく言う傾向が、日本側の一部にある。

外交、軍事専門家の間では、七一年夏の「ニクソン・ショツクの再現」、つまり日本頭越しの対中接近と同類の、突然の「安保条約破棄通告」を想定した安全保障論議が行われることがある。米側ではこれを日本の「すがりつき」と受け取る。

望ましい日米関係は、ひがんだりすがりついたり、あるいはその時々の経済状況によって居丈高になったり卑屈になったりするものであってはなるまい。また、ジャズや米語などに対する好みからくる親米・反米とは、まったく無縁のものでなければならない。

激変を続ける国際社会で日本がどう生き抜いていくかというぎりぎりまで詰めた実利と、日本国憲法に示された国際平和の理想とを両立させる方途をさぐりながら、超大国・米国との距離を冷静に計っていくことに尽きる。