2015年9月9日水曜日

生殖技術のこれから

精子・卵や受精卵の提供については、日本はドイツ、スウェーデンと同じく認めていない。代理母は人工授精型・体外受精型であろうが、商業的・非商業的であろうがほとんどの国が認めていない。しかしイギリスでは、一九九〇年になって、代理母に医師の関与を一切認めないことはもはや不可能であるとして、代理母だけが子どもをもつ唯一の方法であるカップルについては認めることになった。ただひとつの例外はアメリカで、この国では技術的に可能なあらゆることが実行できる。性交という伝統的な手段によらないで生殖を可能にする体外受精などの生殖技術は、さまざまな新しい可能性を秘めた技術である。そのような可能性を垣間見せたからこそ体外受精に対しては、多くの国で技術の許否をめぐって激しい議論が沸き起こったのであら。

議論の結果多くの国が出した結論は、その国の歴史、伝統、文化によって少しずつ異なってはいるが、生殖技術をこれまでの家族、親族などをめぐる社会秩序を大きく変えない範囲で実施していくことであった。体外受精児第一号が出生してから二〇年近い年月が経過した。しかし前述のように成功率は一〇から一五パーセント前後であるから、体外受精はそれを実施すれば必ず子どもをもつことができるという技術ではない。投与される排卵誘発剤などのホルモン剤が、女性や生まれてくる子どもにとって副作用のない安全性の高いものかどうかも十分には明らかでない。このような現状では、体外受精技術をさらに改善して安全性、確実性、信頼性の高い医療としていくことは極めて重要である。

また安全で確実な避妊法を開発し、不妊のメカニズムを探究し、さらに子どもの遺伝的障害を予防するためにも、ヒトの受精卵、それもごく初期の段階のものを対象とした実験・研究がどうしても必要になる。体外受精の研究に関しては国際的にも高く評価されているモナシユ大学のアラソートラソソソ博士は、受精卵を対象とした実験・研究が必要な理由をつぎのように述べている。「臨床応用にあたっては動物実験だけで十分だから、倫理的に問題む多い人間の生殖細胞や初期受精卵(通常受精後一四日で現われる原条が出現するまえの極めて初期の受精卵)に対して実験・研究を行なう必要はないという主張がある。

確かに動物の細胞は配偶子(精子と卵)や初期受精卵などを含めて、新しい技術を開発したり新しい技術の安全性をテストするのに有効であるが、ヒトという種特有な現象は動物実験では解らない。最も有名な例としては、サリドマイドによる奇形が、動物には現われないのに人間だけ出現したという事実がある。」ヒト精子・卵・受精卵を取り扱う研究に関する見解。研究者のこのような主張は、キリスト教的思考体系をもたない場合には比較的問題なく受け容れられることであろう。ヒトの生殖細胞であり人間になる可能性を秘めたものであっても、医学の進歩という人類の福音のためならば、実験・研究の対象とすることが認められてしかるべきであるということになる。したがって日本で受精卵に対する実験・研究をめぐって問題となったのは、実験・研究の際にこれらの提供者の承諾を得ないで無断で行なったということだけであった。

日本でも体外受精が成功するまでに、子宮癌などで摘出された卵巣から採取した卵を使って、卵を受精させるなどの基礎的な実験が広く行なわれてきたことはいうまでもない。しかしその際、卵を体外受精の実験のために使用することについて患者にはまったく知らせず、したがって同意も得ないことがあった(福本英子『生物医学時代の生と死』技術と人間、一九八九年)。このことがたまたま徳島大学で明らかになり、徳島大学卵盗用事件としてマスコミが大きく報道した。患者の卵を無断で採取して実験・研究に使用するという、ともすれば医学界で一般的に行なわれていたことが卵の盗用として問題視されたのである。