2015年10月9日金曜日

「拠出制」の国民年金

年金給付は「定額部分」と「報酬比例部分」の二つからなり、配偶者と子に「加給年金」を支給することとし、老齢年金は男子だけ六〇歳支給とした。恩給制度は占領時代に、占領軍の命令により軍人恩給の支給が停止された。元軍人には生活難におち入る人もあったが、一九五三年恩給制度は復活した。しかし、民主主義の時代になり、国からの恩賞という制度への批判があり、国の財政負担の重さをめぐって。恩給亡国の声もあがった。さらに同じ国家公務員でありながら、官吏か雇用人かによって、恩給と共済組合という別の制度が適用され、掛金も違う不公平が指摘され、二つの制度の一本化が検討された。

一九五九年、国家公務員共済組合に恩給制度は統合され、さらに一九五六年、国鉄、電電公社、専売公社をふくむ公共企業体職員等共済組合法が公布、さらに六二年、地方公務員共済組合法が公布された。本来、厚生年金の対象であった私立学校教職員と農林漁業団体職員は、一九五四年と一九五八年に厚生年金から抜け出してそれぞれ共済組合をつくった。その理由には、年金基金の自主運用権をもつことなどをあげていたが、実際は、厚生年金の給付が共済組合より低いためであったといわれている。

農林漁業や商業など自営業に従事する人々には、それまで加入する年金制度がなかった。五人未満の事業所で働く人々にも厚生年金は適用されず、家庭の主婦も年金とは縁がなかった。一九五五年の推計では、公的年金の未適用者の数は二〇歳から四九歳で二七三九万人(この年齢層の七五%)にのばった。

国民すべてに年金のアミをかぶせ「国民皆年金」を目ざして一九五九年、国民年金法が成立。同年、「拠出」なしで全額を国庫が負担する「福祉年金」が発足し、七〇歳以上の高齢者二〇八万人に年金の支給がはじまった。支給額は月一〇〇〇円、「アメ玉年金」と話題になった。この「老齢福祉年金」の額は次第に増額され、一九九一年度で月二万九九三三円となっている。

「拠出制」の国民年金は、一九六一年四月にはじまった。加入者は二〇歳から五九歳までで、ほかの公的年金の適用を受けていない者とし、保険料は三五歳未満で月一〇〇円、三五歳以上月一五〇円、給付は六五歳支給とし、二五年加入で月二〇〇〇円の年金であった。また一九八五年の改正で、二〇歳から五九歳までの国民は、すべて国民年金に加入し基礎年金を受けることになり、厚生年金、共済年金の加入者も国民年金に加入することになった。国民年金は文字どおり全国民の年金に衣更えし、厚生年金、共済年金が拠出する国民年金分の保険料による財政調整によって、国民年金の財政は安定したのである。