2013年7月4日木曜日

世界各国の国際観光収入の比較

正確には政府は、「〇〇年までに外国人観光客○千万人達成」というような目標は掲げていますし、今般の世界同時不況さえなければ、一〇年度に一千万人という目標は確実に達成されていました。でもいい機会ですので、同じく政府の目標になっている「××年までに外国人による国内での消費×兆円達成」にもっと注目せねばなりません。そうしないと、イベントか何か、とにかく人数だけ容易に増やせるような策に走るのが現場の人情です。人数は増やさずとも、滞在日数や消費単価を上げて最終消費額を増やすことが重要なのです。「そんな堅いことを言わずに、人数だって目標にしていていいのではないか?」と言われそうですが、一日だけのイベントをやるとかトランシット客(外国から外国に移動する間に空港で乗り継ぐ客)に短時間だけ観光させるとか、人数だけを増やす策の方が滞在日数や消費単価を増やすよりも簡単です。

そういう逃げ道を最初から用意しているのでは、楽な方策ばかりが取られまして経済効果が増えません。逆に言えば、「外国人による国内での消費×兆円」という目標を強調すれば、人数拡大も自ずと手段の一つとして追求されますから、問題はありません。先ほどの、「生産性上昇ではなく付加価値額上昇」、「経済成長率上昇ではなく国内での個人消費の拡大」というのと同じです。ところで現状の金額を申し上げますと、ビジネス客含む訪日外国人の国内消費額(=国際観光収入)は〇八年で一兆円程度。日本製品の輸出七七兆円、国内小売販売額一三五兆円に比べればずいぷんと小さいですね。それでも〇一年当時の四千億円からは倍以上に増えました。政府のやることは何だかいつでも条件反射で批判的に言われがちですが、この分野では政府が旗を振ったビジットージャパンーキャンペーンの効果が明確に出ています。皆さんにももっと褒めていただきたいところです。

これが今後どの程度まで伸びるかということですが、世界各国の国際観光収入を比較しますと、日本はこれでも絶対額で二八位です。人口当たりに直せば世界の国々の中でも相当の下位になってしまいます。人口が日本の二五分の一のシンガポールでも日本と同等の一兆円程度はありますし、人口二千万人と日本の六分の一以下のオーストラリアや、トルコが二兆円。中国やイタリアが四兆円。世界最大手のアメリカが一一兆円ごですから、逆に前向きに言えば、日本にもまだまだ数兆円の伸びしろはあります。それどころか、中国人の一人当たり海外旅行支出は最近急成長しているとはいえまだ日本の一〇分の一ですので、これが日本の半分の水準に達するだけで単純計算の上では一八兆円の国際観光市場が新たに生まれます。真横で需要の大爆発が起きているのですから、それを取り込むことがどれほど大事か、ご理解いただけるものと思います。

短期の周遊ではなく滞在へ、そして短期定住へ、客単価を増大させる方向を促進することで、この数兆円の増加は必ず達成できます。とはいっても数兆円程度の話では、生産年齢人口減少に伴う消費の低下に対して焼け石に水ではないか、とお感じの方もいらっしやいましょう。確かに、高齢富裕層から若者への所得移転は一四〇〇兆円の個人金融資産を念頭に置いていますから話が大きかったですし、女性就労の促進も団塊世代の退職を補う数百万人の新規就業者を日本に生もうというのですから極めてインパクトが大きい話でした。それらに比べると伊肘小粒の話を始めたものだと言われても、余り文句は言えません。

ですが観光収入の多くは人件費に回りますので、輸入原材料を加工して売っている輸出製造業や、薄利多売の小売業一般に比べて付加価値率は高くなります。観光庁の発表した試算から割り算して出した数字ですが、観光売上が一兆円あれば、五千億円が付加価値としてGDPに算入され(つまり付加価値率五〇%)、九万人の雇用と八五〇億円の税収が生まれます。以上は直接効果ですが、間接効果を含めますと、観光売上一兆円から生まれるGDPは一三兆円。雇用が一九万人、税収が二二〇〇億円だそうです。つまり数兆円の観光収入増加は、日本経済にとって決してばかになりません。

日本に残された人材のロケット

実際問題、「男は仕事、女は家庭」という生活スタイルは、高度成長期以前の、国民の多くが農民か商人か職人であった時代には、単なるスローガンであって現実ではありませんでした。そうした家業の世界では奥さんもほとんどが旦那さんと一緒に働いていたからです。零細農民の場合には旦那が炊事の分担も子供の相手もしていましたし、零細な漁師であれば夫婦で船に乗っていました(これは今でもそうですが)。商家であれば旦那が行商に出ておかみさんが差配をするのがごく当たり前のことでしたし、武士にしても下級武士であれば夫婦で内職も畑仕事もしていました。

そうした伝統を忘れ、女性を家の中に無職で閉じ込め始めたのはいつからなのでしょう。生産年齢人口が激増する中で、彼らの多くを企業が戦士として吸収した高度成長期以降のことなのです。女性の結婚退職を勧奨したのは、どんどん学校を卒業してくる若い男性のために席を空けさせなければならないという経済的な要請があったからでした。でももう十分です。出生率は激しく低下しましたし、新卒学生が年々減り始めた一九九七年以降は、逆に定年退職者が新卒就職者を上回り続けています。よく「俺は仕事をしてるんだ、家庭はお前が守れ」と威張る男の姿がドラマなどに出てきたものですが、今の日本に本当に大事なのは、仕事と称して縮小する市場相手に死に物狂いの廉価大量生産販売で挑むことではなく、家庭を大事にして再び子供が生まれやすい社会にすることでしょう。

その重要な責務を、女だけに担わせて男は担わないというのは、時代錯誤も甚だしい。仕事が大事で家庭が後回しというのは、今世紀の日本ではもはや社会悪のレベルに達した考え方です。ここらあたりで歯車を逆に回し、企業戦士の家庭を専業主婦に守らせるという戦後日本に特殊な生活習慣をやめてはいかがでしょうか。ここまで申し上げてきても、日本で女性の就労を進めるには、さらに三つの壁があります。それは、①男の側の心の壁(「自分は女ではない、男である」ということを誇りに思うように釈けられてきた一部男性の「人格形成不全」)、②女の側の心00壁(女が頑張ると女が足を引っ張るというさみしい現象)、そして心ではなく③現実の壁(働く女性の代わりに家事を誰が分担するのか)、の三つです。心の問題に関しては、若者への教育を改善しつつ世代交代を待つしかないともいえますが、最後の問題については、明らかに心強い援軍が存在します。企業社会から退場しつつある高齢男性です。彼らが社会人として蓄積してきた能力と手際を持って、若い女性の代わりに家事に当たれば、その分彼女たちは所得を得て経済を拡大することができ、高齢男性の側も家族の賞賛を得ることができます。

日本に残された人材のロケットの三段目、未就労女性に点火するためにも、ぜひ一段目のロケットだった団塊世代にもうI踏ん張り果たしていただきたいものと、切に願っています。ではどうすればいいのか③労働者ではなく外国人観光客・短期定住客の受入を最後に第三の策としてお話しするのが、訪日外国人観光客・短期定住客の増加です。「外国人労働者」の導入ではなく、「外国人観光客」の増加。これは、日本経済のボトルネック=生産年齢人口の減少が、経済学が想定するような労働力の減少ではなくて消費者の減少、生産力の減退ではなくて内需の減退という問題を生んでいる、という現実の観察から当然に導き出される戦略です。生産者ではなく消費者を外国から呼んで来ようということです。

高付加価値率で経済に貢献する観光収入内需拡大のために公共投資をせよ、給付金を配れと、いろいろな声があります。ですが、外国人観光客を増やし、その滞在日数を増やし(できれば短期定住してもらい)、その消費単価を増やし、国内‐でできるだけ多くのお金を使ってもらうということほど、副作用なく効率の良い内需拡大策は他には見当たらないのではないでしょうか。輸出だけによる経済活性化が行き詰まったこの日本で、外国人相手の集客交流促進による「内需拡大」が国や経済界の戦略の一丁目一番地に来ていないようにも見えるということ自体、不可解というか情けないというか、後世のもの笑いの種になることは間違いないと感じております。