2014年12月10日水曜日

低賃金から抜け出せない

文章を書くのはライターさんがやりますし、必要に応じてカメラマン、イラストレーター、漫画家だとか、各分野の専門家に協力を仰ぎながら、記事を作っていくんです」彼のような編集者には、いいクリエイターを発掘して一緒に仕事をしたり、クリエイターのスケジュールを把握して、滞りなく記事を制作していくことが求められる。つまり外部とのやり取りが仕事の中心的な業務なのだ。しかし。「異動してきたばかりの頃は、もちろん外部のクリエイターとはまったく人脈のない状態。上司からは『自分で人を探してこい』つて指示を受けていたので、ネットを見てよさそうだなっていう人に声をかけたりしながら、『こんな人どうでしょう?』つて上司に提案してたんです。

そうしたら、よさそうな人は『俺が使うから』とか言って、上司が持っていっちやう。イマイチだと『なんだこいつは!ヘタクソだなあ。お前にやるよ』とか言って、私か担当になるんですよね。それもどうかと思うんですけど。私か担当になったライターさんに外注して記事を作ってもらうと、『全然ダメ。こいつにはもう頼んじやダメだ』つていうことになって、結局私の担当のライターさんがどんどんいなくなっちゃうんですよ。そんな状態なので、私の担当記事がどんどん減っていってます。他の編集者は月に100本、多い人はもっと作ってますが、私は今、月に10本~15本ぐらいしかアップできてません」求人情報サービス事業を手掛けるエン・ジャパン株式会社がサラリーマンにたいして行なった「仕事をしていて社外の人脈の必要性を感じますか?」というアンケートでは、79%が必要と回答している。

客先とのやり取りが一切ないバックオフィス系の仕事を除けば、取引先との関係が築けないと、うまく仕事を進められなくなってしまうことが分かる。彼らは決して、人と接するのが苦手だから孤立してしまっているわけではない。広告制作会社の朝倉さんのように、社内失業することで周囲との関係がうまくいかなくなってしまうこともあるし、ニュースサイト運営会社の太田さんのように「仕事に必要な人をなんとか集めたい」と積極的に外側に働きかけていても、社内失業していく過程で人脈を作れなくなったり、取り上げられてしまう状況があるのだ。

社内失業者は低賃金で苦しんでいる。そう言われても、あまりピンとこないかもしれない。「なにも仕事せずにお給料がもらえるんでしよ?それならむしろラッキーなんじやないの?ぜいたく言ってるんじやないよ」と。確かにもらえるだけマシ、という考え方もある。世の中には失業してしまったり、会社が倒産してしまって、食うや食わずの人たちがたくさんいる。社内失業者は、決してその日の食事や住むところに困っているわけではないからだ。しかし、社内失業者の不安は、今給与が低いことではない。今後上がる見込みがないまま年齢だけを重ねてしまう。その未来の暗さにあるのだ。

独立行政法人 労働政策研究・研修機構がまとめた「今後の企業経営と賃金のあり方に関する調査」によると、5年前と比べて本人の年齢・勤続年数・学歴など個人の属性を重要視する「個人属性重視型」賃金タイプの企業が大幅に減り、本人の職務遂行能力を重視する「職能重視型」や、従事する職務・仕事の内容を重視する「職務重視型」などが増えているという。今は正社員として所属してさえいれば満足のいく給料をもらえるほど甘い世の中ではない。さらに、若い頃に経験を積めないことが、30代、40代以降の賃金にどう影響していくかについて、同調査は以下のように分析している。

2014年11月10日月曜日

採用・雇用体制の根本的な変容

したがって企業が成長しても、若い労働力の雇用をふやしつづけていく限り、賃金総額はそれほどふえず、むしろ分配率が低下する場合すらあった。そうした条件の下で企業は資金の内部留保が容易になり、それが投資に活用され、生産設備の近代化と技術革新が進められ、生産性が向上し、競争力が高まり、企業の一層の成長が促進されるという好循環が可能になったのである。これが日本の企業と経済のめざましい発展を促進した有力な要因であったことは明らかである。労働力人口の高齢化はこのメカニズムの作用を困難にし、この好循環を止めることになる。

労働力人口の高齢化と経済成長の鈍化の下で、企業の労働力の年齢構成はピラミッド型から、ズンドウ型になり、やがれ頭デッカチ型になる企業もでてくる。このような労務構成の企業が年功賃金の基になっている定期昇給をつづけていけばどうなるだろうか。定期昇給分に見合う、たとえば年々二十ニパーセントていどの生産性向上が確実に達成できることが保障されていれば良いが、それはこれからの経済環境を考えるとあまりにも楽観的だろう。

そうした生産性向上の保障がない状況の下で、ズンドウ型や頭デッカチの労務構成であるにもかかわらず機械的に定期昇給をつづけていけば、やがて企業は立ち行かなくなることは目に見えている。かと言って昇給を全くやめてしまえば、従業員の勤労意欲は停滞してしまうだろう。

したがって何らかの形で適切な賃上げはしてゆく必要がある。企業は新しい状況の下で大きな発想の転換を迫られているのである。一方、若年労働力が相対的に少くなり中高年労働力の比重が高まってゆくという状況の下では、これまでのように若年者に焦点を絞った採用の体制や教育・訓練、人材開発の体制も見直さざるをえないだろう。

また、雇用管理もこれまでのように若年から育て上げた壮年男子労働力にもっぱら焦点を合せたやり方から、中高年齢者、女子、外国人、その他さまざまな条件の異る多様な労働力を適切・有効に活用する手法を開発する必要があるだろう。労働力の年齢構造の変化はそうした意味で日本の企業のこれまでの雇用、賃金、人材管理のあり方に根本的な変容を迫るいまひとつのメガトレンドの変化なのである。

2014年10月9日木曜日

運用マネージャーに対する報酬構造

すなわち、現代の資産市場において、最終的な資金の提供者が自身で資産運用をすることはむしろまれであって、専門的な運用業者に資産運用を委託するのが一般的である。このとき、最終的な資金の提供者が依頼人で、専門的な運用業者が代理人にあたるエイジェ ンシー問題が存在していることになる。具体的に以下では、依頼人がヘッジファンドに出資している投資家で、代理人がそのヘッジファンドの運用マネージャーである場合を考えてみよう。

運用マネージャーは、資産運用に成功して利益をあげれば、利益に比例した報酬を受け取れる。しかし、資産運用に失敗して損失を出したとしても、損失に比例した負担をするわけではない。もちろん失敗した場合には、運用マネージャーは解雇される等のペナルティは受けるとしても、ペナルティの大きさには限度があり、損失額が大きいほど、ペナルティも大きくなるということはない。この意味で、運用マネージャーに対する報酬構造は、有限責任制の性格をもっている。

有限責任制の下では、無限責任制の下や、全額自ら資金を運用している場合に比べて、より大きなリスクをとることが個別的には合理的となるようなインセンティブ(誘因)が生まれることになる。というのは、リスクこアイクをしたことが裏目に出て損失が発生したとしても、その損失のかなりの部分は投資家に転嫁できることになるので、自分自身の負担は軽くなるからである。

こうした事実は昔からよく知られていることであって、様々な工夫によって、そうした有限責任制に伴うインセンティブの歪みを是正することが行われている。例えば、株式会社は有限責任制の組織であるので、それに資金を貸し付けている債権者は、貸付契約の中に各種の財務制限条項等を盛り込むことによって、過度のリスクテイクが行われないように歯止めをかけるのが一般的である。

しかし、インセンティブの歪みを常に完全に除去できるわけではない。そして、右記のようなインセンティブの歪みが残存していると、投資家に損失を転嫁できる可能性が補助金を与えられるのと同一の効果をもつことになって、運用マネージャーにとっては、ファンダメンタル価値よりも(補助金相当額の分までは)割高な価格で資産を購入しても損ではないということになってしまう。このようにエイジェンシー問題が存在すると、ファンダメンタル価値よりも割高であることを認識していても、その価格で資産を取引することがあり得ることになる。

2014年9月9日火曜日

国際通貨体制と円

最後に、それ自体ヒエラルキー的な多国籍企業は、権威主義的、中央集権的体制と結んで、汚職腐敗を生む可能性があるし、また大規模生産を特徴とするため文化の一元化をすすめて、地方固有の文化を破壊しやすい。多国籍企業と国民経済のあいだには以上のような矛盾点があるが、企業の多国籍化か世界経済の相互依存化の有力な歯車の一つであるかぎり、多国籍化の趨勢は今後とも長期にわたってすすむだろう。したがって、多国籍化の進展とともに、国連など国際機関の場や国レベルでの多国籍企業を規制する綱領制定、NIEOが指向しているような企業子会社の現地化や合弁事業への理解、そして企業利益と地域社会の利益の調和など、いろいろな努力が多面的にくりひろげられていかなければならない。

多国籍企業の行動規準(code of conduct)多国籍企業の遵守すべき投資憲章や行動規準については、業界団体、労働組合の提言や米議会での贈賄禁止法など、さまざまの試みが行なわれている。国際機関では、OECDが一九七六年に、多国籍企業と国家政策や投資奨励政策・国有化政策等についてガイドラインを発表している。八六年に、国連の多国籍企業委員会で、国連多国籍企業行動規準合案がっくられた。この行動規準案は、国家圭権、人権・基本的自由、社会的・文化的価値、汚職腐敗の防止などを前文にうたい、経済的・金融的・社会的な面に関しては、意思決定権の分散、国際収支への配慮、振替価格や脱税の防止、制限的商慣行の禁止、技術移転の促進、消費者保護、環境保護を、また情報面では情報公開、国家との関係では地元企業と同列の公正な取扱いや不当な国有化を避けるための保障、これらの実行のための国際協力、国連多国籍企業委員会による規準実行のモニタリング(監視)などを定めている。

国際通貨体制とは、国と国とのあいだの貿易や資金移動の促進、国際収支の調整、金融市場の円滑な機能などのために国際的に合意された通貨取決め、協定やこれらに基づく機関の総体を指している。近代の世界経済において、国際通貨はつねに世界市場で優越する経済力をもった国の通貨を基軸として決められてきた。一九世紀から第一次大戦時まで安定的に続いた国際金本位制は同時に、イギリスのポンドが基軸通貨となる時代でもあった。イギリスは当時「世界の工場」として、世界の多角的貿易経済の中心であった。他の諸国はそれゆえ、イギリスとの貿易をまかなうためにポンドをため、これをロンドン金融市場に預金した。

そしてイギリスは自国のポンドをつかって、海外投資を行ない、帝国主義の黄金時代を出現させた。だが、二〇世紀に入って、アメリカやフランスの経済力がイギリスを上回り、イギリスの金保有比率が低下して、ポンドの価値も不安定化することになった。また、世界的な金生産の減少のため、増大する世界貿易の決済がまかないにくくなったこともあって、第一次大戦時に金・ポンド本位制は停止しか。その後、金本位制復帰へのいろいろな試みがなされたが、結局歴史の時計の針を後に戻すことはできず、大恐慌時に主要国は経済ブロック形成に移行し、ドル、ポンド、金ブロック(フランスなどヨーロッパ六国)の基軸通貨圏が形成された。

日本はやや遅れて、朝鮮・台湾の植民地と中国東北部(「満州」)、および日中戦争での占領地を中心に円ブロックの形成を試みる。第二次大戦後は、アメリカの経済力を背景として、ブレトンウッズで合意された金・ドル本位制が国際通貨体制を形づくったことはすでにみた。この通貨体制は、経済ブロック分立、世界貿易縮小の苦い経験から、貿易制限をのぞき、通貨の交換性を促進し、自由貿易・自由資本移動をすすめるために、IMFと世界銀行グループを創出したのである。ここで、戦前の通貨ブロックの経験をふまえ、ある国の通貨がある一つの経済圏において基軸通貨化する条件を整理しておこう。

2014年8月12日火曜日

一部の国は財政改革ができる

金融市場で、唯一の劇的なニュースとなったのは、アメリカでのサブプライムローン(低所得者向け住宅ローン)や、複雑な信用リスク取引であるクレジットーデリバティブの破綻により、欧米や一部アジアの銀行が、巨額の損失を計上したことだった。ストロスカーン氏が、財政出動を呼びかけた。週間前、アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)は、一九八四年以降で最大となる利下げに踏み切り、その後、多くの追加利下げを行っている。

しかし、IMFの長がきわめて時期尚早な介入の発言を行ったかもしれないが、一部の国の政府は、積極的に反応したのである。アメリカでは、議会とホワイトハウスが、一六八〇億ドルに上る経済刺激法をとりまとめた。また、インドのチダムバラム財政相は、同国には追加的財政出動をする余地があると発言したと報道されている。ヨーロッパでは、フランスとイタリアの政治家が、IMFにすばやく同調し、それぞれの政府にいっそうの金融緩和を迫った。

だが、果たしてストロスカーン氏は正しいのだろうか。世界経済を急成長させるために、減税し、政府支出の増大を図ることは、みんなに正しい政策といえるだろうか。一般的に言えば、正しくないだろう。原油や金属、それに小麦の価格の高騰が示したように、彼が主張しか当時、世界全体での需要は過剰であり過少ではなかった。財政出動は、需要の拡大を必要とするときにのみ、正しいのだ。

一部の国で景気後退が予想されているが、それを和らげるため、財政政策が必要となるところも確かにあり、それがより広範に実行される時期がやってくるかもしれない。だがその国は、ストロスカーン氏の呼びかけに呼応した国の政治家でないことは、ほぼ確かである。たとえば、インドでは、政府予算の赤字がGDPの一〇%に急増しており、需要があまりにも旺盛なことから、消費者物価のインフレ率は、最近二%を超えている。

日本も、その国に入るかもしれない。というのは、財政赤字が、国内需賢が慢性的に弱く、そのうえ、米ドルに対する円高が、大安をいっそう減退させるからだ。日本政府は、財政赤字を削減するため、増税をいつ行うかについて議論を交わしているが、このような議論は終わらせるべきである。その代わり、財政出動が経済成長を促すかどうかの議論を始めるべきだ。だが、この場合、減税をすべきであり、一九九〇年代に見られたような公共工事支出であってはならない。

2014年7月21日月曜日

セーフティーネットの歴史性

求められているのは、新古典派的な「小さな政府」でもケインジアン的な「大きな政府」でもない。市場の不安定化に伴うリスクの増大を社会的にシェアすることによって経済を再生への軌道に載せてゆく第三の道こそが、「セーフティーネ。トの張り替えを起点に展開する制度改革」という知的戦略なのである。だが、実際には、規制に伴うモラルハザード(倫理の欠如)と呼ばれる現象自体は存在する。主流経済学も「進化」して、モラルハザードを説明する際に、その根拠を「情報の非対称」に求めるようになっている。流行の「情報の経済学」である。

この「情報の経済学」に基づけば、たとえセーフティーネットのような規制であっても、当事者間の利害が異なり。互いに「情報の非対称」が存在すればモラルハザードをもたらすことになる。つまり規制の結果を十分にチェックできなければ、必ず規制をごまかしたり、その規制を利用して利益を得ようとする者が出てくるというわけである。それゆえ、できるだけセーフティーネットを含む規制を取り払い、市場競争が働くようにインセンテイブを働かせてモラルハザードを防ぐべきだと主張されることになる。つまり規制に伴う情報の費用を低下させることによって、できるだけ完全競争に近づければよいというのである。

しかし、このような「情報の非対称」という議論は、実はモラルや公共性という問題を正面から論ずることを避けているために、しばしば論理矛盾を引き起こす。彼らの枠組みでは、一般的に情報の非対称が存在すれば、同じ制度であるかぎり、常にモラルハザードを引き起こすことになってしまうが、実際には、ある時期に有効に機能していたセーフティーネットが、別の時期に機能不全に陥ってしまうというように歴史的に変化する。彼らの枠組みでは、このセーフティーネットの歴史的変化を内在的に説明することはできない。こうした問題をセーフティーネットの歴史性と名づけてみよう。

こうしたセーフティーネットの歴史性について、事例をあげて考えてみたい。まず第一は、食管制度のような農産物価格維持制度、あるいは食糧価格統制である。食糧価格統制の縮小が暴動の契機になったインドネシアの実例を見ればわかるように、国内食糧生産が不足している場合、それは一種の社会的セーフティーネットの機能を果たす。戦後しばらくの間、日本の食管制度も、そうした役割を果たしていたと考えてよいであろう。

2014年7月7日月曜日

社会保険料と目的税

使途が限定されているという点では、社会保険料と目的税は共通です。社会保険料は医療や年金だけに使われます。現行の目的税は、道路特定財源となっている揮発油税、自動車重量税、石油税などです。

目的税は、目的遂行に適切な税ですが、財政学の面からは、目的税は財政の硬直化を招く。と批判されています。たとえば、歳入がすべて目的税の収入で構成されている予算を考えるとわかりやすいでしょう。五つの目的税があるとすれば、収入のすべてが目的税ですから、歳出も五つの目的以外には使えません。

これほど極端ではないにしろ、歳入に占める目的税の割合が高まれば高まるほど、財政の硬直化は進むのです。なにしろ他の目的には使えないのですから。社会のニーズは時代によって変化します。昔、必要とされたものが不必要になり、新たなニーズが登場します。変化に的確に対応するには、目的税はできるかぎり限定し、安易な導入は避けるべきでしょう。

社会保障、とくに年金や医療の財源として目的税をあてることはどう考えればよいのでしょうか。現在、提案されているのは、基礎年金や高齢者医療の財源として、消費税を目的税とする方法です。基本的な考えは、高齢化の負担を現役世代だけでなく、高齢者にも応分の負担をしてもらおう、というものです。主に勤労者世代が負担している所得税や社会保険料から、財源を消費税にシフトし、勤労者世代の負担を軽減しようとするねらいです。

社会保障の財源として、全額を税でまかなうと。社会保険は社会保険ではなくなります。私は社会保険方式を維持しながら、財政的関与を増大させる方法がよいのではないかと考えています。保険方式を維持するならば、国庫負担の財源全体に占める割合は二分の一以下であることが適切でしょう。現在でも多くの国庫負担が社会保険に投入されています。

2014年6月21日土曜日

EMUの活動

援助の対象には、零細企業、自営業主、小売業者などもつけ加えなくてはならない。そのための手段として以下のものが挙げられる。

・定期的大型情報誌の発行。EU委員会の「インター・アリア」は、大型印刷文字、点字、オーディオーテープを含んでいる。

・テレビーラジオはハンディキャップ層にとって有効なメディアであって、EMUはそのための特別プログラムを作成する。

・現在、実際に通貨を扱っている人々には、ユーロのシミュレーション、ユーロを手に触れさせる訓練が効果をあげるだろう。それと同じことを、特別な識別マークを持ったユーロ紙幣とコインで行わなくてはならない。

・ユーロヘの転換については、「社会的弱者」の介護を行っている家族と個人に対しても、援助の手がさしのべられなければならない。政府の情報活動には、「トレーナーによる訓練」プログラムが組み込まれるべきである。

・政府情報キャンペーンの対象に、零細企業、自営業主、職人、小売業者を加えなくてはならない。

・銀行、商業部門はユーロにおける「社会的弱者」を支援するための重要な組織である。公共部門のスタッフは、これらの部門といろいろな形で密接な連絡を取らなくてはならない。

このようなEMUの活動について、ごく当然のことと思う人がいるかもしれない。しかし私はユーロの問題以前に、いわゆる「社会的弱者」にやさしいヨーロッパの生活環境を思い出す。それはユーロ参加国、不参加国の区別は関係ない話だ。高齢者やハンディキャップ層に対して設けられた「特別連絡システム」の端末。彼らが自由に乗り降りできるノンーステップータクシー。ヨーロッパにはこのような社会環境がほかのどこの地域よりも整っているのだ。それだからこそ、ユーロに対するEMUの広報活動も現実昧を持って人々に受けとめられるのである。

2014年6月7日土曜日

腎症

通常の尿検査で尿蛋白が陽性となる以前に、尿中に非常に少量の蛋白(アルブミン)が排泄されるようになる(微量アルブミン尿)時期があることが明らかになり、早期腎症という概念が確立されてきています。さらに、微量アルブミン尿の出現と同時に、厳格な血糖および血圧の管理を行えば、尿中アルブミン排泄か低下し、腎症の進展を阻止できると報告されています。

このため、尿中アルブミンの測定は、糖尿病性腎症の早期発見の手段として広く用いられています。例17では一九八八年八月頃が早期腎症の時期にあたります。この時期に厳格な血糖と血圧のコントロールを行う必要がありましたか、代理受診のために時期を逃してしまい、腎不全へと進行してしまいました。

糖尿病性腎症の患者では、人工透析が必要となる時期か早く、糖尿病患者の急増に伴って人工透析をうける糖尿病患者も年々増えています。透析中の患者に占める糖尿病性腎症の割合は、一九八三年には七・四%でしたが、一九九五年には二〇・四%と急増しています。一九九六年に人工透析が導入された患者数は二万八二三四人、原因疾患の一位は慢性糸球体腎炎(一万九九五人、三八・九%)ですか、年々占有率が低下してきており、糖尿病性腎症の増加が目立ちます。近い将来逆転するのは間違いありません。

糖尿病では末梢神経(手足を動かす働きをする運動神経、熱い、冷たい、痛いなどと感じる働きをする知覚神経、臓器や器官の働きを調節する自律神経)がおかされます。糖尿病性神経障害は網膜症や腎症よりも早期に出現し、多彩な症状により患者に苦痛を与えます。厚生省か行った糖尿病患者二一二○名の合併症調査の報告では、糖尿病性末梢神経障害(しびれ、痛みなどの自覚症状、アキレス腱反射の低下、消失のいずれかのある患者)は三六%でした。アキレス腱反射の消失は糖尿病に特徴的な神経障害の所見です。

2014年5月23日金曜日

日本の政府開発援助

とかく政府文書というのは、無味乾燥で、どうとでもとれる曖昧さをもってその特徴としているが、外務省経済協力局の編になる『我が国の政府開発援助』(一九九〇年版、上巻)は、日本の援助理念について、めずらしくもずいぷんとはっきりものをいっている。我が国は、援助に当たって途上国の自助努力を支援することを重視し、援助の内容においても、我が国自身の考え方を押しつけるのではなく、先方の要請をベースに我が国が取捨選択するという対応を基本とするとともに、原則として、援助に政治的な条件をつけることを内政不干渉の見地より差し控えてきた。

このような我が国のいき方は、米国が自ら普遍的価値として唱導する自由と民主主義の普及を援助実施の一つの柱としたり、またフランスが仏語・仏文化の普及を援助実施の一つの柱としたりしているのとは相当異なっている。我が国は、援助に際し、政治的な価値や経済開発についての我が国の考え方の押しつけはこれを極力排しつつ、専ら開発のためには何か良いかを相手国の要請を踏まえた話合いを通じて、考えてきたわけである。

ここでのキーワードは「要請」主義であるが、これについて同書はつぎのような、これも明晰な考え方を披渥している。「開発は、途上国の経済・社会・文化さらには政治に直接関わる変革のプロセスであり、途上国自身が主体的な責任を負うべきものである。また、途上国の国内において行われる開発案件は、その実施のために途上国の自主的な努力が不可欠である。我が国の援助は、円借款案件であれ、無償資金協力案件であれ、我が方が丸抱えするのではなく、途上国も案件実施のために必要な現地通貨、土地手当て等を負担するといった自助努力を行うことを前提として、いわば共同事業として行っているのであって、途上国が積極的に案件の価値を認めない場合には、これを実施できないし、実施すべきではない。

この理念はたしかに日本のこれまでの援助の実態に根ざしたものであり、必要とさるべき理念は、これ以上でも以下でもないと私も考える。要するに日本の援助の理念は、開発途上国の「自助努力」を、政治的な条件(「コンディショナリティー」)をつけることなく、受入れ国の要請にもとづいて支援するというものである。明示的には書かれていないものの、開発途上国の自助努力を引きだすには、援助の中核が返済を要する借款でなければならない、という考え方がこれに付加される。

2014年5月2日金曜日

「強蓄積」メカニズム

中国における集権的計画経済から市場経済への転換は、たしかに「世紀の実験」というにふさわしいドラマである。この転換を、中国はどのように試みてきたのであろうか。転換の軌跡を追うことは容易ではないが、興趣のつきないテーマである。毛沢東時代の集権的計画経済のメカニズムがいかにして形成され、そして「自己破壊」していったのか。

どのような経緯を経て、計画経済のメカニズムが新しく市場経済のメカニズムへと転換していったのか。本章では、その論理を追ってみたい。論点の中核は、「蓄積メカニズム」である。第一次計画期(一九五三~五七年)以来、長きにわたり中国経済の中核に位置してきたのは、「全民所有制単位」すなわち国営の重工業部門であった。重工業化を通して貧しい農業国段階を脱し、豊かな社会主義国家をいちどきに実現することがめざされたのである。

旧中国の「半封建・半植民地」の「負」の遺産を継承し、かつ狭小な耕地に過大な人口を押しこんだいちじるしく貧困な農業国として出発した新中国が、そうした「初期条件」を顧慮することなく急速な重工業化をめざしたことは、顧みて無謀な試みであった。しかし、中国は国共内戦に淵源をもつ米中対決、一九五六年のソ連共産党大会におけるスターリン批判によってはやくも露わとなった中ソ対決という、超大国とのきびしい政治的・軍事的緊張下で建国を進めざるをえなかったのである。

往時の中国の指導者が、重工業化を通してみずからを強国たらしめぬ以上、革命の成果を守りぬくことができないと認識したのには、無理からぬものがあった。農民大衆運動を通して社会主義中国を掌中におさめ、強大な権力を一身に集めた毛沢東の純粋で空想的な社会主義観が、そうした「急進主義」を生んだもうひとつの要因であった。

国民経済の圧倒的部分を低生産性の農業が占めるという初期条件のもとにありながら、なお重工業化を急速かつ大規模に展開しようというのである。そのための資源を求むべきさきは、いかに低生産性とはいえ、農業部門以外にはなかった。

2014年4月17日木曜日

無責任で運任せ

諸行無常である。運である。私には、あの戦争の後遺症が未だにあって、何でも運だと考え、納得してしまうところがある。才能は、それがある者には、恵まれたことであり、努力は、努力自体はいいものだが、そういったものが必ずしも好ましい結果に結びつくとは限らない。世問は理不尽、人生は矛盾だらけで当たり前、だから人が無責任で運任せであっても、いちいち戒めることはない。私かこんな考え方をするのは、自力に自負を持たないからである。こんな考え方をするのは、あの戦争に、未だに打ちのめされたままだということかもしれない。いずれにしても、こういう私か江藤さんに受け容れられるはずがない。

江藤さんと知り合ったのは、すでにしばしば、言ったり書いたりしたように、私が遠山一行さんの誘いに応じ、かねてから、遠山、江藤さんが刊行を企画していた『季刊部術』に、編集専従者として参加したからである。江藤さんは、その前に、安岡章太郎からいろいろ私のことについて聞いていたのだそうだが、私のような者には、江藤さんはいろいろと、批判や嫌悪があったのではないか。事実、初めのうちは、私に対するいらつきを江藤さんは、多分に持っていただろうと思う。

けれども、いつの間にか、いい質の友情が流れ始めていた。さすがに、江藤さん、包容力も加わり、私に対しても、いらつくのではなく、ある思考の空間として、面白がって迎えてくれるようになった。ただし私は、未復員兵のフルさん、と呼ばれ、コマチック思考と言われた。江藤さんは、奥様にはもちろんだが、友人や後輩たちにも、情豊かで誠実な人であった。これももう、再三、言ったり書いたりしたが、江藤さんに熱心に誠実に勧められて小説を書いたのがスタートになって、私は物書きになった。そのことを、遠山一行さんか引っぱってくれたことと共に恩に着ているが、こんなに突然、思いきりよく逝ってしまった。

心も体も、もう再出発できないほど落ち込んでいて、それかどんな状態であったかを、ある程度は想像して、仕方がないかな、これでいいのかな、とも思います。しかし、大兄のにこやかな笑顔、たのしく話し合ったことの数々、大阪の万博に一緒に行きましたね。京都に和風の小ぢんまりとした宿をとって。あのときでしたね、祇園に司馬遼太郎さんに連れて行ってもらったのは。そういったことを、いくらでも思い出します。そして、とにかく、つらいなと思います。